ピノ・シニョレット氏へ向けて 追悼文

昨年の大晦日、私のもとに悲しい知らせが届きました。

ムラーノガラス(ヴェネチアンガラス)の巨匠、ピノ・シニョレット氏が2017年12月30日、この世を去ったとの知らせです。
昨年の夏は、あんなに元気に大きなオブジェを作っていたのに。

そしてそのオブジェは、今も私のショップでキラキラ輝いているのに。

信じられません。

ピノは、私が生まれて初めて出会ったムラーノガラスのマエストロです。

なんともう約40年も前の話。日本の新聞でピノと彼の師匠であるアルフレッド・バルビーニを知り、逢いに行きました。

言わずもがなですが、彼の制作風景をはじめて目にした時の衝撃は忘れられません。

美しく、優しく、でもとてもパワフルな作品が、あっという間に目の前に誕生するんですもの。彼が錬金術師のように見えました。

前職を去り、日本で初めてのムラーノガラスの専門店を開くという夢に向かって進もうと決心できたのは、

確実にピノとの出会いと彼の美しい作品たちのおかげです。

はじめの頃は、この美しいイタリアの伝統工芸品のことを学びたくて学びたくてがむしゃらで、生後6ヶ月の娘を灼熱の工房のすみに何時間も寝かせたままにしていたことも。

ピノに、「チサ!娘がひからびるぞ!」と笑われたこともありましたね。

ヴェネチアの夏の太陽は強烈で、そこにいる全員汗だく。ピノは頭から水をかけて制作を続けていました。

彼も私もまだ若く、アグレッシブでした。

ピノは、わずか8歳から師匠の元で修行をしていましたので、彼に作れないものはないと言っても過言ではありません。

繊細な薄いグラスから大きなオブジェまで、美しい作品をたくさん生み出してきました。

そんな中でも私が思うピノの真骨頂は、生きとし生けるものたち。生命のあるもの、人物、草木、動物などのオブジェを作って彼の右に出る職人はいないのではないでしょうか。

そうして1986年、ピノの作品の展覧会を日本で初めて開催できたことは私の人生の誇りです。

身体を悪くした時はとても心配しましたが、作品を作っている間は全くそれを感じさせませんでしたね。だから昨年街で自動車椅子に乗ってすいすい移動するところに遭遇した時はビックリしましたよ。

でも今思うと・・・いくつになってもかっこつけなイタリアン紳士でしたから、見ないふりをしたほうが良かったのかも。

さっきまですくっと立って大きなオブジェを作っていたのに、あなたの身体は街を歩く事すら困難になっていたんですね。

とにかくガラスという素材に優しいマエストロでした。

けっしてガラスにさからわないでガラスに寄り添い、自然体でガラスと向き合うマエストロでした。

ガラスの性質を熟知しているので、デザイン通りにガラスの形を無理やり変えるのではなく、優しく優しくデザインのフォルムに導いていくのです。

そんなふうにガラスと仲良しの彼の作品は、どんなに大きく量感ある作品でも柔らかく、優しく、ソーダガラス本来のとろ~りとしたガラスの特色が生かされています。

師匠であり巨匠であったアルフレッド・バルビーニの志を継いで、固まりのガラスで生命を制作し続けたピノ。

彼なき今となっては、誰も作れないのでは…と思ってしまいます。

ムラーノ島では誰かが亡くなると教会に張り紙がされます。

ピノの素敵な笑顔が写っている張り紙の写真を友人がメールで送ってくれました。

ムラーノの教会にその張り紙が貼られた景色を想像し、やっと実感が湧いてきてその夜は眠れませんでした。

 

かたくなに薄着で創作を続けていたピノ。(普通は窯やガラスが高温なので熱よけや火傷防止に腕は隠すんですよ。)

手の形がすっかり変わって固くなっていたピノ。

でも笑顔は出会った時と全く変わらなかったピノ。

師、アルフレッド・バルビーニに私を紹介する時、緊張でふるえていた若き日のピノ。

天国で師匠のアルフレッド・バルビーニと再会しているかしら。

どうぞどうぞ安らかに。

ムラーノガラスの魅力は日本ではまだまだ知られていませんから、歳は少ししか違わないけど、私はもう少しがんばりますね。

見守っていてください。

chisa 代表 小瀧千佐子

photo by Marta Buso