ビーズは、恐らく人間が最初に手にした最も古い装飾品と言えるでしょう。
糸を通すための穴が開いた玉を指します。紀元前3000年にはすでに作られていたとされ、個人の大切な所有物だったことは、古代の墓から埋葬品として発掘されていることからも確認できます。
美しい貝殻や、種子、石や動物の歯や牙などに穴をあけてひもで吊るし、身に着けて飾ったり、お守りとしたりと、古代に人々にとって欠かせないものでした。
紀元前2500年ころには、古代エジプトで石に代わってガラスのビーズが量産されるようになります。ガラス製のビーズは小さく、堅固で運びやすく、美しいため、宝石の代用品として世界中に広まったのです。
その代表格は何といってもイタリアのベネチアンビーズでしょう。
13世紀末には「ガラスビーズ職人組合」が結成されていたことからも量産さていたことがうかがい知れます。17世紀にボヘミアなどの台頭でガラス産業が衰退する中、ベネチア共和国を救ったのはビーズ産業でした。
特筆すべきは、取引相手国の需要に応じたビーズを作ったことです。
欧州向けには、優美なビーズを、アフリカ交易向けには強烈な個性のビーズを大量に輸出しました。
しかし、迫りくるチェコやオランダなどの競合国に勝ち残るには、ベネチアならではの上質で洗練されたビーズが求められたのです。バラと勿忘草を描いた繊細な花文様、ベネチアンガラスの秘宝とされたレースガラスのビーズなどは、ベネチアの下町で名もなき女性たちの手によって一粒ずつ作られました。ベネチアのビーズ価格は、今も昔もグラム単位ではなく、一粒単位で決められます。彼女たちは、家事や育児の合間に家の片隅でより美しく、付加価値の高いビーズを制作し家計を支えました。
僅か1センチのビーズのキャンバスに、自らデザインし、創意工夫を凝らし、無限に広がる小宇宙を描いて見せたのです。自由な発想で楽しみながら新しいビーズを生み出した彼女たちこそアーティストだったと言えるでしょう。