アートと、うつわと、花入れと。出展作品紹介 vol.3 アートピース
セグーゾ工房 気泡入り花装飾花器 1945 年デザイン:フラヴィオ・ポーリ制作:アンジェロ・セグーゾ chisaオーナー小瀧千佐子は、20世紀のムラーノガラスの蒐集家であり研究家です。今回の日本橋三越にて開催いたします「アートと、うつわと、花入れと。」では小瀧千佐子の活動40周年を記念して、長年秘蔵してきた美術コレクションも出展いたします。どの作品も大変に貴重な品々ですが、特に小瀧が愛してやまないアーティスト、フラヴィオ・ポーリ氏がセグーゾ工房にて制作した作品がお披露目されることは、特筆すべきでしょう。 小瀧がかつてオーナーを務めていた北鎌倉小瀧美術館で開催された展覧会の開催を記念していただいたポーリのご子女、ジョルジャ・ポーリ氏からの紀行文とともにご紹介いたします。 私の父、フラヴィオ・ポーリ ジョルジャ・ポーリ 人格について: 建築、インテリア、アンティーク、絵画、彫刻、音楽、歴史、哲学に興味を抱き、精通していた完璧な芸術家。公平で寛大、繊細な完璧主義者、外交的で礼儀正しく、会話を楽しみ、才気喚発、愉快な人だった。 工場では、父の頑固さと、完璧なガラス作りに向ける注意深いまなざしは有名だった。ガラス職人用の下絵をいかに正確にデザインしたか、試作の段階において鋭敏な色彩感覚でいかに細心に溶解の結果を監督していたかを思い出す。父は着想したアイデアを実現する為に、(その人の責務により)努力がたりない人に対しては妥協も寛容も許さなかった。父にとっては、自分のフォルムを厳密に尊重しその忘れがたいデザインを具体化してもらう必要があったのである。 家族について: 兄弟4人と妹1人からなる家父長的家族の出身で、ヴェネツィアにいたときは毎晩、私の母、兄弟、義姉妹とが一緒に集まって交流を楽しんでいた。時々、夕飯の時間になると電話をかけてきて、前触れもなく5人10人と人を連れて来たが、母は少しもあわてなかった。母は料理と、人をもてなして喜ばせるのが好きだったからだ。 父は展覧会、美術館、ビエンナーレ(かなり小さな頃から)に私たちを連れて行き、説明や話をしてくれた。素晴らしい舞台背景のついた、指人形のための小劇場を作ってくれた。お話をしてくれたが、話しながら、太い鉛筆でその話を絵にしてくれた。私たちはクリスマスツリーの飾り付けを自分でしたことがなく、父に飾りを渡すだけだった。成長してからも、私たちの洋服がきわめてシンプルで、完璧な色彩の組み合わせの落ち着いたものであるかどうか目を光らせていた。私たちが父と一緒に外出するとき、皆それぞれが完璧な格好であるかを父はチェックした。全員が調和し、趣味が良くなければならなかった。 父は私たちをあらゆる環境に招き入れた。私たちは子供の頃から、各国の芸術家と接触し、もてなすことが多かった。フラヴィオ・ポーリを父として持ったことに、私たちは満足だった。父と母は特別な関係だった。仲の良い友人で、母は父を尊敬し父には母が必要だった。お互いに補い合っていた。何時間でもあれこれと話し込んだ 生涯を通して、母は父を心から崇拝していた。母は父の最高のファンで、相談相手だった。父を支え、励まし、賞賛し、そのことを私たちに伝えた。素晴らしい妻であり、母親だった。 父が好んだ趣味は、美しい風景を水彩画で描くことだった。イーゼルとパレットを持って外出し、場所を探しては足を止め、絵を描いた。ニューヨーク、パリ、山、海…。人々は父のまわりで足を止めたが、描くことに専念している父はそのことに気づきもしなかった。要望があったにもかかわらず、父は絵を売りたがらず、誰かに贈ったこともあったが、残りは私が所有している。 今こそ、ムラーノは第二のフラヴィオ・ポーリを必要としている! 1999年2月23日ヴェネツィアにて 1999年 北鎌倉小瀧美術館 発行図録 ヴェネツィアン・グラスの偉大なる変革者フラヴィオ・ポーリとセグーゾ工房Flavio Poli e Seguso Vetri d’Arte より抜粋 図録の購入はこちら...