今日、ムラーノガラスと言えば、マヨルカ陶器と並んで、イタリアのルネッサンスを代表する工芸とされています。
この時期に、ムラーノガラスは多くの点で、飛躍的な発展をしました。技法は多種多様になり、材質は改善され、製品の種類は増し、名工と呼ばれる多くのマエストロを輩出します。
ムラーノガラスは、基本的に鉛を含まないソーダガラスです。ガラス種が熱いうちに、吹いたり、捩じったり、装飾したりと心に描くデザインを自由自在に成形することができ、それが職人技の見せ所でした。また、無限とも思われる色彩のバリエーションを誇ります。
“ガラスと言えば無色透明なもの”というのが、現代の私たちにとって当然の認識ですが、当時、ガラスは無色透明ではありませんでした。ムラーノ島の職人たちは、不純物や気泡を含まない、より透明なガラスを創り出すために工夫を凝らし、試行錯誤を繰り返します。そして遂に、1400年代半ばアンジェロ・バロヴィエールによって、水晶を模したイタリア語で〈クリスタッロ〉と呼ばれる透明なガラスが発明されました。今日(こんにち)の鉛を大量に含んだ、いわゆるクリスタル・ガラスほどの透明性、屈折率は無いものの、当時としては他に類を見ない透明な美しいガラスで、酒杯としても、装飾品にも、うってつけの素材でした。
眼鏡用のレンズや鏡や窓ガラス用の板ガラスもまた、クリスタッロ職人によって発明されました。現在の私たちの生活に無くてはならない透明ガラスは、15世紀のムラーノ島で誕生しています。
赤葡萄酒を満たして陽の光に透き通るクリスタッロのグラスは、ヨーロッパの王侯貴族を虜にしたに違いありません。
深紅、コバルトブルー、アヴェンチュリン(金梨地)、深緑からアクアブルーなどの華やかな色ガラス器に、ドラゴンや蛇のモチーフなど超絶技法で装飾を施した一連の作品群、またイスラム諸国から伝わった華麗なエナメル彩色のガラス器などもヨーロッパの王侯貴族たちの垂涎の的で、大人気を博したのでした。
ムラーノガラスの黄金時代は17世紀以降も続いたのですが、台頭してきたトルコやヨーロッパの列強を前に徐々に弱体化し、またあれほど厳重に機密保持につとめたにもかかわらず、ガラスの技法、デザインは盗用され、ガラス職人の引き抜きが横行した結果、他の国々で類似品が生産されるようになり、市場の独占は困難になってゆきました。