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砂とウグイス vol.3〈ヴェネチアのガラスは、なぜそんなにも特別視されるのか〉

こんにちは、chisaスタッフの小瀧万梨子です。

昨年大好評を博した 和光 本店地階 アーツアンドカルチャーにて、今年も特別な催事を開催いたします。

題して「ムラーノガラス 造形の軌跡」。
催事詳細はこちら

「ムラーノガラス 造形の軌跡」 in 和光 本店地階 アーツアンドカルチャーにて
8月13日(木)~9月2日(水)まで



今回の催事は、ヴェネチアのガラスの島、ムラーノ島の〈ANFORA - アンフォラ〉工房のオーナー、レンツォ氏と、その妻モニカ氏からの、思ってもいないご提案から実現した、まさに私たちと和光さんとでしかできない催事です。

その催事の開催を記念して、一本コラムを失礼しようと思います。

スバリ、

ムラーノガラスは、なぜこれほどまでに特別視されているのか

日本ではご存じの方は少ないかもしれませんが、ガラスから不純物を取り除いて無色透明にすることに成功し、板ガラスやレンズ、メガネ、鏡を発明したのは、すべてヴェネチアのガラス職人たちです。

さらに「ムリーネ」や「レースガラス」といった、その後数百年にわたって愛される技法を開発。欧米では「近代ガラス工芸の礎を築いたのは紛れもなく彼らである」と評価されています。

そんな素晴らしい功績の裏には、どんな秘密があるのでしょうか。

私はその理由が、アドリア海に浮かぶヴェネチア共和国の環境、地形、そして歴史に由来していると考えています。

蛮族から逃れ、鳥も住まないような干潟に杭を打ち、石を敷き詰めて人工の島を作り上げたヴェネチアの先祖たち。

干潟を土台とするヴェネチアは資源に恵まれず、産業といえば塩の生産と造船業くらいでした。
それでも抜群の頭脳と粘り強さを持つ彼らは海と生きることを選び、貿易によって一大海運国へと発展していきます。

 

AIで作られた当時の様子がなかなか魅力的だったのでシェアします。サンマルコ広場の建築物がややトンチンカンにも感じますが、海運国だったヴェネチア共和国の活気が表現されていますね。

当時、ヨーロッパの王侯貴族が高値で買い求めていたもののひとつに、美しいガラス製品がありました。

宝石も毛皮も、土を使う陶器のような工芸品も、資源の乏しいヴェネチアで生産するのは困難です。

そんな中、砂と炭酸ナトリウムを原料とする「ガラス」に着目した賢いヴェネチアの人々は、自国での生産をスタートさせました。

世界の海を股にかける「ヴェニスの商人」たちは、当時の王侯貴族が何を望んでいるかを的確に把握していました。

そしてガラス職人たちに明確な指示を出し、彼らが喉から手が出るほど欲しがる製品を次々と生み出していったのです。

「グラスを作るときは、注いだワインの重さしか手に残らないほど、薄く軽く作れ」

そんな指示が出されていたという逸話もあります。 透き通った物質自体が珍しかった当時、空気のように軽い透明なワイングラスは、どれほど神秘的で魅力的に映ったことでしょう。


美しいシャンデリアを、当時は油絵よりも高額だった鏡に映し出し、それを眺めながら薄いグラスで真紅のワインを味わう――。そんな贅沢極まりない時間を過ごすことが、当時の富裕層の憧れでした。

シャンデリア、鏡、ワイングラス……そのすべてを生産していたムラーノ島は、富裕層のライフスタイルにおける嗜好品市場を独占していたと言えるかもしれません。

つまり当時のムラーノガラスは、ヴェネチア共和国にとって重要な「産業」だったのです。

しかし、ルネサンス期に絶頂を迎えたムラーノガラスも、やがて冬の時代を迎えます。

ガラスという素材への特別感が薄れ、職人を島になかば幽閉してまで守ろうとした門外不出の技法も徐々に国外へ流出。他国でも美しいガラスが作られるようになりました。

そして遂に、「アドリア海の女王」と謳われたヴェネチア共和国もナポレオンによって滅ぼされ、歴史に幕を下ろします。

こうしてルネサンス期に最先端のプロダクトだったムラーノガラスは「工芸品」となり、世界の富裕層に愛されながら密やかに歴史を紡ぐこととなりました。

2017年 chisa 北参道salonにて開催した個展
「ノヴェチェントの遊びごころ」

ムラーノガラスに「第二の黄金期」が訪れたのは、20世紀に入ってからのことです。

19世紀後半のパリ万博などをきっかけに欧州を席巻したジャポニスム(日本美術)やアジア工芸の影響から、アール・ヌーヴォー、アール・デコといった新芸術運動が花開きます。かつての技術漏洩の歴史から閉鎖的だったムラーノ島ですが、幾つかの勇気ある工房がその波に乗り、外部からデザイナーを招き入れ始めました。

カルロ・スカルパ、エットレ・ソットサス、そしてピカソやシャガールといった最先端を走るアーティストたちがムラーノ島の職人と出会い、ガラス素材を用いた作品を次々と発表していきます。

ここで、「産業」や「工芸品」として歩んできたムラーノガラスは、ついに「アートピース」へと昇華したのです。

ANFORA工房、アンドレア・ジリオ氏によって成形され、マッテオ・セニガリア氏の削り加工によって完成した作品。


大変に前置きが大変に長くなりましたが、今回の催事では、そうしたムラーノガラスの歴史的変遷において重要な役割を果たした「ANFORA(アンフォラ)工房」にスポットを当てます。

ANFORA工房


元々は美しい装飾グラスを生産していたアンフォラ工房は、大きく舵を切り、アーティストのアイデアを具現化する活動に尽力するようになりました。
なかでも大平洋一氏や三嶋りつ惠氏といった素晴らしい日本人アーティストたちの想いを汲み取り、見事に作品として表現しています。

ANFORA工房で長らくマエストロをつとめていた
アンドレア・ジリオ氏


その造形表現の幅広さは、わずか1人のマエストロの手によるものとは信じられないほど多種多様です。本展は、それらの作品を一堂に会する最初で最後の展覧会となります。


本展の企画は、アンフォラ工房のオーナーであるレンツォ氏と、その妻モニカ氏のご提案から始まりました。

長年、主任マエストロを務めたアンドレア・ジリオ氏が高齢を理由に工房を去るにあたり、「ジリオが若かりし頃に手がけた作品を、チサにすべて託したい」と申し出があったのです。

ジリオ氏と小瀧千佐子
小瀧千佐子がデザインした作品を制作してくださっています。


「ムラーノ島で最も腕のあるマエストロ」と称され、世界中のアーティストの作品を作り続けてきたジリオ氏。彼の貴重な初期作品をご紹介できることは、どれほど素晴らしく、奇跡的なことでしょうか。

小瀧千佐子が数十年前、日本の暮らしの中で輝くようにとデザインしたテーブルウェアや茶器のサンプルも、ストックルームに大切に保管してくださっていました。この度、一堂にご紹介いたします。

↑オーストリアのギャラリーに飾られた、ムラーノガラス。オーストリアのアーティスト Kiki Kogelnikの作品です。

ムラーノガラスは、なぜこれほどまでに特別なのか。

それは明確に「誰かのために作られてきた」だと、私は考えます。

20世紀に活躍したマエストロの多くは、自らの表現を追求するアーティストというよりも、誰かの望みに応える「職人」でした。だからこそ、他国のガラス作品と比べても、超絶技巧でありながらどこか奥ゆかしく、誇示するような押しつけが小さく感じられます。

他者のイメージに寄り添いながら、ガラスという繊細で気まぐれな素材を優しく導き、完成させる――。その姿勢こそが、ムラーノガラスが今も人々を魅了してやまない理由なのかもしれません。

──そんなムラーノガラスの真の魅力を五感で味わい、手に入れることもできる特別な催事。

もしあなたがガラスをお好きなら、この夏はぜひ、銀座・和光 本店地階 アーツアンドカルチャーへお越しください。

時を超えて受け継がれてきた、美しき造形の軌跡をご堪能いただけます。
では、今回も駄文を失礼いたしました。猛暑が続きますが、皆様に素敵なことがたくさん起きますように。

小瀧万梨子

ムラーノガラス 造形の軌跡


2026年8月13日(木)〜9月2日(水)

和光 本館地階
アーツアンドカルチャー

中央区銀座4丁目5-11 和光 本店地階
> Google map

東京メトロ銀座駅 A9出口より徒歩すぐ、B1出口直結

03 3562 2111(11:00-19:00)

詳細はこちら
https://chisa.jp/blogs/event/20260723